芦屋町誌によると、芦屋の旅行商人が最も盛んだった頃は、文政~天保年間(1818~1844)である。明治に入って石炭の流通港としてさらに繁栄した。、明治41年(1908)から大正5年(1916)にわたって行われた遠賀川改修工事の為に120戸が切り取られたが、それまでは役場をはじめ商家や民家が軒を連ね山鹿の河岸には船も多く集まるにぎわいの中心であった。
山鹿立退き地区復元図(下図)によれば、その河岸に江崎才八石材置場が広く明示されている。
『芦屋の墓誌と碑誌・上巻』には、宝暦13年(1763)から昭和15年(1940)まで続いた20名の江崎姓石工の銘がみえる。明治39年(1906)の芦屋町是職人調では石工は14人である。
◎旧芦屋橋(創業地付近の写真)
◎旧山鹿村の写真
○文化十四年(一八一七)
石工
江崎才七吉秋
厳島神社(浦区)
◎鳥居(辨財天)
厳島神社下の海中岩場にある
弘化四歳(一八四七)五月再建
文化十四年(一八一七)八月
石工 江崎才七吉秋
○天保十四年(一八四三)
石工
江崎才七
須賀神社(元町区)
◎百度石
天保十四年(一八四三)六月
石工 江崎才七
○明治十六年(一八八三)
石工
江崎才七善秋
善福寺ー山鹿字柏原
◎五重層塔 (一字一石望塔)
明治十六年(一八八三)九月
石工 江崎才七善秋
○明治二十一年(一八八八)
石工
江崎才七
狩尾神社跡ー狩尾(柏原区)
◎瀬奥
明治二十一年(一八八八)一月
山鹿村 石工 江崎才七
○明治四十二年(一九〇九)
石工
江崎徳太郎
金台寺(旧中小路)西浜町一-二二
◎石灯籠(暗照)
明治四十二年(一九〇九)三月
石工 江崎徳太郎
○大正五年(一九一六)
石工
江崎徳太郎
金台寺
◎石門柱
大正五年(一九一六)一月
石工 江崎徳太郎
○昭和三年(一九二八)
石工
江崎正三郎
妙見神社(大城)
◎鳥居(額・妙見神社)
昭和三年(一九二八)四月
大城区 石工 江崎正三郎
○昭和五十四年(一九七九)
石工
堀内忠男
◎石燈籠
昭和五十四年(一九七九)三月
石工 堀内忠男